そしてマーケティングや仕組み化をするにあたって
例外を排除するため、イレギュラーな対応が必要なお客様には
深く頭を下げて他店で購入してもらうようにしました。
本当に辛かったです。
今までお客様になっていただくために必死に営業をしたり
お客様自身も私どものためにしてくれたことが少なくありません。
それでも会社として脱皮が必要だったのです。
近藤が入社すると言うのは
スワロースポーツも少しずつ業績も上がっていた訳ですが
もう一つの大きな問題があったのです。
当時、会社の株の過半数を持っているのが
私の父である会長であったために
会社の借入や役員報酬、利益処分について
株主総会が毎年、大荒れなのですw
(近藤の入社より前)
まあ、親子ゲンカと言うやつですが
本当に毎年のように店の中の什器やテーブルが
ひっくり返ったりガラスが割れたりでした(^^;
ここでは書けないような有様で
よく妻は着いてきてくれたとこれだけは感謝していますw
そして、まだ売上高1億円程度の時に
「とにかくオレは会社を安定させるために
自分が体を壊してでも5億円にはする」
と宣言をしました。
私以外の誰も信じていませんでしたが
迫力だけはあったはずですw
深夜どころか、朝まで仕事をしていましたよ。
そしてカゼをよく引いて寝込んでいましたw
その頃は、心をなくすほど
「忙しかった」
です(^^;
そんな基礎があっての今だと思っています。
(終わり)
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「心豊かに」「穏やかに」
人間研究は面白くて大切!!